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2012.07.09-07.15

第24回写真の会賞「写真の会賞展」

『光あるうちに』(2011年) 『現の闇』(2008年、いずれも蒼穹社刊)原 芳市

「展覧会“富士幻景”をはじめとする IZU PHOTO MUSEUMの活動について」

PlaceMにて同時開催

第24回写真の会賞受賞パーティー

日時:7月14日(土) 17:00~
会場:PlaceM(3階)
受賞作品をご覧になりながらの授賞式パーティーです。
会費は2,000円で、どなたでも参加できます。
会場で、今回の選考経過を収めた「写真の会」会報72号をみなさまに差し上げます。

「展覧会“富士幻景”をはじめとする IZU PHOTO MUSEUMの活動について」

 IZU PHOTO MUSEUM
小原真史:監修・著『富士幻景 近代日本と富士の病』(IZU PHOTO MUSEUM発行、2011年)
 IZU PHOTO MUSEUM
『富士幻景 富士にみる日本人の肖像』展(2011年6月6日─9月4日)
 IZU PHOTO MUSEUM
IZU PHOTO MUSEUM中庭 ©杉本博司/IZU PHOTO MUSEUM
 IZU PHOTO MUSEUM
IZU PHOTO MUSEUM前庭 ©杉本博司/IZU PHOTO MUSEUM

 美術館として出発したばかりのIZU PHOTO MUSEUMの活動にこのような賞をいただき、大変うれしく思います。これまで7つの展覧会を開催してきましたが、写真家のみなさまをはじめ、多くの関係者の方々にご助力いただきながらの3年間でした。ご協力いただいたみなさまにこの場をお借りしてお礼申し上げます。
 昨年開催した「富士幻景―日本人の肖像」展が富士山という一つの山の表象から近代日本史を概観するというものだったように、幕末に渡来した写真には日本の近代化の軌跡が写されており、過ぎ去った過去の断片を今に伝えてくれます。昨年の3月11日の出来事は戦後日本のひとつの帰結だと言えますが、「富士幻景」展はその衝撃が冷めやらぬ中での展示でした。写真にはそうした過去の出来事を問い直すような契機が懐胎されているのではないでしょうか。
 この展覧会は1968年に日本写真家協会の主催で開催された「写真100年―日本人による写真表現の歴史」展をモデルとしています。東松照明や多木浩二、中平卓馬、内藤正敏らの写真家が中心となって、幕末から1945年にかけて撮影された膨大な写真の中から展示作品が選ばれました。美術関係者や評論家というよりも、写真家たちが主導して開催されこの展覧会から40年以上が経過した現在、写真を展示する美術館は全国各地にでき、今や「写真100年」展のような仕事は美術館の役割となっていますが、写真家に教えられることは数多くあります。今後も写真家たちの仕事や言葉に刺激を受け、また刺激を与えられるような美術館でありたいと願っています。

 IZU PHOTO MUSEUM

 2009年に静岡県長泉町のクレマチスの丘に写真と映像の展示、収蔵を行う美術館として開館。内装と坪庭の設計は杉本博司が手がけている。これまで「杉本博司 光の自然」展、「時の宙づり―生と死のあわいで」展、「野口里佳 光は未来に届く」展、「荒木経惟写真集展 アラーキー」など、現代美術から作者不明のヴァナキュラー写真まで多様な展覧会を開催している。

『光あるうちに』(2011年) 

 『現の闇』(2008年)

原 芳市

原芳市「光あるうちに」「現の闇」
『光あるうちに』より
原芳市「光あるうちに」「現の闇」
『光あるうちに』より
原芳市「光あるうちに」「現の闇」
『現の闇』より

ぼくのようなタイプの写真が、あまたある写真集の中から、掬い取られることは、奇跡と思えます。
 ぼくの写真を、誰かが、形のよい、こんがらがった紐を見ているみたいだ、といったことがありました。
「どこを、どうやって解いていったら、一本の元の紐になるのかがわからない。すごく、不安で、でも、それを解くことに、魅了される」
 写真には、謎がなければならないと思っています。不思議や神秘が写っていなければならないと思っています。そして、エロティックでなければならないとも思っています。何も、性器が写っていたり、性交のシーンが必要だとは思ってはいません。エロティシズムの概念を言葉で知るのなら、バタイユあたりを読めば、少しは、理解できます。しかし、理解と実感は、いつも、擦れます。その擦れを、写真に写せたらいいなと、ずっと、思っていました。
 若かった頃に『曼陀羅図鑑』という写真を撮影して、出来得る限りのエネルギーを使い果たしてしまったら、後は、撮影するものがなくなってしまいました。空白の数年を経て、前記したような、思いを持ちはじめていたのです。
 何となく、現の闇、…というような言葉が、目の前に現れました。辞書を引いて、その意味を確かめました。
―現実ではあるが、真実がおおい隠された、 闇のような生活と、ありました。
 その頃のぼくの生活そのものではないか、と思えました。日常の中にころがっている事柄は、きっと、現実なのだろうけれど、真実というようなところが見えていないし、真実って一体何? というようなことを思ったりもしました。政治だって、生活だって、何も真実のところは、解っていないし、語ってもいない。人間の本質は何かというような、青臭い思想も頭をもたげたりしました。しかし、いい切れば、いい切るほど、でもね、という反語も現れて、それらを打消してしまいます。新聞も嘘ばっかり書いています。ぼくも、嘘ばっかり語っています。そうした思いの中で、『現の闇』は、撮影されて来ました。
 数年後、義兄が亡くなり、当たり前のことなのですが、人間は死ぬのだ、と思いました。義兄は、四十代でした。目の前にある現実を真実と受け取った瞬間でした。ふっ、と光あるうちだな、と思いました。命あるうち、希望あるうち、夢醒めぬうちだな、と思いました。そうした思いが、『現の闇』とは、ちがった方向から鋭角に、何物かが、語り掛けて来たようでした。それは、何だったのかわかりません。しかし、『現の闇』を撮影しながら、『光あるうちに』とタイトルし、同時に、撮影をはじめたのでした。
 これは闇、うーん、これは光、いや闇、…、光あるうちに、か…。一つのフィルムの中に闇と光が混在するのでした。自分でも、どちらがどちらなのか、こんがらがってしまったりしました。
 ある時、何気なく古本屋の書棚を見ていたら、薄っぺらな文庫本のタイトルに、釘付けになりました。『光あるうち光の中を歩め』と書かれてありました。ぼくは、少なからず驚き、その著者名を見たら、トルストイとありました。 
 それは、『光あるうちに』というぼくの問に対する解答が、トルストイによって、与えられているような衝撃でした。ぼくが、『光あるうちに』といいさした時、トルストイから、『光の中を歩め』と結論付けられてしまったような不思議な感覚を持ったのでした。
 長い時間が過ぎました。
 ほぼ、二十年が過ぎていました。
 そして、とりあえず、『現の闇』を一冊に纏めることにしました。ほとんど20年の間に撮影したものでした。コンタクト・シートの中からそれを見出してプリントをしました。そして、『光あるうちに』は、置いてきぼりを食った形になってしまいました。
 それでも、『現の闇』から三年を経て、『光あるうちに』をプリントしました。本にして並べたら、見事に、それは対をなし、まるで、一綴りの書物のようになりました。
 聖書など手にしたことがなかったのに、ぱらぱらと飛ばし読みしていたら、その中に、次の言葉を見出しました。
―暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい
(『新約聖書・共同訳・全注』ヨハンネスによる福音十二章三五節)
 何だか憑かれたように、その一節を、何十辺も読んでいました。
 この二冊の本は、ぼくの全てだと思いました。どちらが欠けても成立しないと思いました。それを、ぼく自身のイニシャルを付して、『hy』としたのでした。
 こうして、『曼陀羅図鑑』からの20年が終りました。また、ぼくは、阿呆のようになってしまいました。今のぼくの頭の中は、カラッポです。
金環日食の日に
原 芳市

原 芳市 はら・よしいち

1948年東京都生まれ。千代田デザイン写真学園中退。 写真展に、2002年「現の闇」(ニコンサロン)、08年「現の闇Ⅱ」(蒼穹舎)、09年「幻の街」三人展(サードディストリクトギャラリー)、「幻の刻」(蒼穹舎)、「常世の虫」、10年「光あるうちに」(サードディストリクトギャラリー)、11年「光あるうちにⅡ」(東塔堂)、「光あるうちにⅢ」(バン・フォト・ギャラリー)など、写真集に、『風媒花』(自費出版)『淑女録』『曼陀羅図鑑』(晩聲社)『ストリッパーズ名鑑』(風雅書房)『影山莉菜伝説』(青人社)など、また受賞作の『現の闇』『光あるうちに』(蒼穹舎)がある。

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